チーム結成のきっかけは、あの日本中を揺るがした2002 FIFA ワールドカップ 日韓大会。マッコが郵便でチケットの抽選に応募したところ、なんとドイツ×アイルランド戦、日本×ロシア戦、決勝戦という、後から考えると名勝負ばかりの3試合のチケットが当選したのだ。そのプレミアチケットを入手してサッカー熱が群と上がったときに、マッコがネット上で「これをきっかけにフットサルやらない?」と呼びかけ、らく、ミチーロ、柏、わぐねる、坪井が賛同し、2001年8月7日にF.C.F.P.が誕生した。
F.C.F.P.とは、フットサル・クラブ・フレンドシップ・パワー(友情パワー)の略。楽しんで勝つをモットーに、仲間同士の絆を信じるチーム作りを始めることになる。
結成後、マッコとらくの学生時代の仲間や、当時らくが講師をしていた美術予備校の生徒なども含め、約20名のメンバーが集まった。 しかし、最初から何もかもがうまく行ったわけではなかった。メンバーは、中学・高校時代を通じてもサッカー経験者が 5人ほどしかいないいわゆる“素人集団”。サッカーおよびフットサルに関する知識や練習のノウハウもほとんどなく、毎週日曜日に、千葉北の大会や千葉フットサルガーデンでリーグ戦に出場してはいたものの、一般的なチームと同様、目ざましい進歩が望める状況ではなかった。
転機が訪れたのは2002年末のF.C.F.P.祭。ミチーロがDVを導入すると練習や試合をビデオに撮影し、それを見ながら反省会を行い、またこのビデオをアップして、ホームページでも見られるようにした。すると、強いチームがどういう動きをしているのか、自分たちができている動き、できない動きがはっきりと分かってきた。さらにホームページの掲示板では、お互いの意見交換も頻繁に行い、それぞれのプレーの反省点も指摘するようになる。また、強豪チームが凌ぎを削る『関東リーグ』の試合をメンバー全員で見学に行ったことも、大きな転機となった。巧い人たちの戦術を分析するうちに、自分たちに足りないものが見えてきた。その流れから2003年9月には炎天下の6試合を戦い抜き「bayFMカップ」で優勝を勝ち取った。
民間施設の大会でコンスタントに優勝出来るようになり、より高いレベルの県リーグ参入を目指し2006年度のチャレンジリーグに出場するもバルドラールセグンドなどに敗れ予選敗退。翌年の2007年チャレンジリーグでは最終節に逆転優勝を決め、その勢いのままチャンピオンシップでも優勝し、念願の2部参入を果たした。
現在、チームは県リーグから退き、エンジョイチームに戻り、主に日曜日に各フットサル施設のワンデー大会に出場している。コンスタントに参加できる選手・マネージャーを随時募集しています。